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 佐藤先生が作品の講評をして下さったことに対して、事務局員が、ただ相槌を打つことしかできなかったため 「あなたたち、自分の意見はないの?!」 とお叱りを受けたことがあります。平成27年末のことです。私は慌てておわび状と講評へのフィードバックを長文の手紙に書きました。下のハガキはそれに対する佐藤先生のお返事です。




「お手紙を拝読し、私の御作への感想批評をよく心に留めて下さったことが、わかりました。あの会 (注・随筆春秋事務局一同がお伺いしたときのこと) での皆さんに、私の言葉がどのくらい伝わっているのか、いつも闇夜に石を投げているような気持でしたが、こんなふうに受け止めて下さっていたのだと思うと嬉しく思いました」  とあります。

 佐藤先生がおっしゃる通り闇夜に石を投げるようになってはいけません。そこでここには、会員向け指導に対する会員の皆様からのフィードバックを掲載します。



「事務局・上木啓二さんの作品に対する佐藤愛子先生のご指導」を再読して 


会員 小倉一純


 改めて読ませていただきました。

 前回読んだ時には、そんなものか、と思っていた部分も多かったのです。
 つい先日、ある文学賞への応募作品(短編小説)をなんとか完成させました。それで、もう1度、このご指導に目を通したところ、うんうんそうだよな、と実感をもって読むことができるようになっていました。

 特に、文章の前段を全部すっ飛ばして、「その日の朝、いつものように掃除のオバさんが――」から書き出しては、というご指導の部分などです。

 私の場合は、応募作品の、新しい段落に入るところで悩みました。場面転換をするところです。それが不自然にならないよう一生懸命に考えて、導入部をこしらえようとしていたのです。ところが、その説明を諦めて、いきなり始めてしまったら、とても上手くいきました。ああ、場面転換って、こういう風にやるんだって思ったのです。
 ここで先生がご指導されている、作品の出だし部分も、原理的には、これと全く同じであると思いました。

【先生のお言葉】  「うん、だから、そういう説明っていうのは、冒頭にまとめて書くんじゃなくて、あとの文章の中に、砕いて入れて行くことができるんじゃあないかなあ、と」

 この先生のご説明も、実感をもって読むことができるようになっていました。
 私の場合は、応募作の短編小説を書いている時に、大学時代の友人に指摘されて気がついたのです。友人の表現では、冒頭の冗長な説明は、後の部分にちりばめていけば――、でした。 その友人と佐藤愛子先生が、実は遠縁であるというのも亦、面白いと思いました。(つい先日、その友人から、彼が佐藤先生と遠縁である、と聞かされたのです)

 それと最後の部分についてのご指導です。問いかけで終っては弱い、というところも、うんうんと思いました。作品の結末には、自分の本当の気持ちとか意志をなんとか絞り出して、綴る。そうすると作品に力が出るんですよね。
 先生は「逃げ」という表現をお使いになっています。最近では私も、作品の結びの部分で困ると、「ここで逃げてはダメだ!」と自分にいいきかせるようにしています。

 余談ですが、私は現在、先生の作品を筆写させていただいております。今では『晩鐘』を終え、『血脈』の単行本の中巻へ入っております。
 先生の「てにをは」の使い方、紙面の構成の仕方、表現方法のディーテールなど、その手練手管を盗むことは、筆写という修行の重要なミッションです。

 ですが、最も重要なのは、先生の芸術家としての精神を、自分の精神としていただくことだ、と思っております。物書きとして絶対にブレない先生の魂に、拙い自分の魂が感化されていくのを、毎日、実感しております。これこそが筆写の醍醐味である、と思うようになりました。
 よく先生が、「こうなると私はしつこいんです」とおっしゃいます。これは、先生の、芸術家としての本性(ほんせい)である、と私は思っております。