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理事長 兼 事務局長 荒川十太   トップページ  会員向け指導  サイトマップ


仙台法人会NEWSに寄稿を続けています






筆名を用いる理由は人それぞれですが、私の場合は亡き祖母への恩返しが動機です

随筆春秋での仕事では、「あらかわとうた」 と名乗ります





令和元年12月18日、一般社団法人随筆春秋が誕生しました。法人の代表理事は池田元、本店所在地は池田の自宅兼事務所になります。また第53号より筆名・荒川十太(あらかわ とうた)を名乗らせていただきます。同人誌随筆春秋の代表は近藤健さんにお願いすることで、本人、先生方、事務局の先輩方のご了承をいただいています。これから会員証や表彰状には近藤健さんを代表として記して参ります。

近藤さんにはエッセイストとしての活動のほか、随筆春秋誌の監修、皆さんの添削指導、コンクールの審査を担当してもらいます。荒川十太の担当は対外的な窓口業務と事務方全般になります。










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フィードバックの重要性について


代表の近藤さんから、第52号の私の作品についてのフィードバックを頂きましたので、ご紹介します。


1.佐藤先生が「私もこう見えて相当変人なんですよ」と仰ったのを受けての「変人会談」にされたのだろうと思います。佐藤愛子先生をよく知る人なら、納得できる部分がいくつか頭に浮かんできて理解でき、思わず微笑んでしまいます。


2.ですが、知らない人には何が何だかわからないでしょう。佐藤先生のどのような部分が変人と言われるゆえんなのか、その辺をわからせてなるほど「変人」だなと読者を納得させたうえで、会談の内容がいかにも変人会談だと思わせることができたら、成功作品になると思います。


3.この作品は、ストーリーの展開からして、「変人会談(1)」であり、作品自体が完結していません。ですから、そんな会談を経て『晩鐘』が完成し、池田さんが感慨深く手にする、そんな次号を、ぜひ。


4.185ページ上段後ろから8行目からの一文、特に「佐藤愛子は大きな声で完結明瞭な言葉を、しっかりした口調で喋る婦人であった」に、違和感を覚えるのです。全体の流れからすると「佐藤愛子」ではなく、「佐藤愛子先生」「佐藤先生」であるべき。


5.(同ページ下段前から3行目も同様)で、「婦人であった」という表現も、距離感がおかしいなと思うのです。当時は、佐藤愛子先生のことを何も知らなく初対面であった、といったようなシチュエーションの丁寧な説明が必要かと思われます。184ページの上段中頃の説明だけでは、読者の理解は不十分かなと思います。


6.文中にいきなり「ルサンチマン」が出てきても、読者の大半は理解できないでしょう。なにかの言葉の入力ミスか? と思われるのが関の山です。「ルサンチマン」を出す場合は、さりげなくその言葉の解説を付すことが必要かと思われます。


7.ただ救いなのは、佐藤愛子先生の『晩鐘』の執筆にひとやく買ったんだぞ、という衒い(てらい)がないところです。この辺の抑制が効いていない文章は論外なのですが、その辺の距離感がきちんと保たれていて、好感がもてました。なにより、作品のとっかかり、冒頭からの意表を衝く展開が最高にいいじゃないですか。


ぜひ、続編を。  近藤より





じつは発刊早々、事務局の正倉さんからも、佐藤愛子先生の呼び方については、近藤さんと同じ指摘を受けていました。


池田さんの作品はもう3度読ませていただきました。谷社長という人物、葬式で青春讃歌を唄ったというのは、確かに顰蹙(ひんしゅく)を買いますね、普通は。映画ではそういうこともあるとは思いますが。


話は変りますが、私は自分の作品「名古屋の母」では佐藤愛子先生のことを「佐藤愛子」と書きました。それは作家佐藤愛子という意味なので、その場合は敬称なしで正解であると思います。でもやっぱり池田さんの作品では、「佐藤愛子先生」とした方が、私の感性ではしっくりくる気が致しました。


「佐藤愛子先生は大きな声で簡潔明瞭な言葉を、しっかりした口調で喋る婦人であった」という具合です。私の主張の理由を考えてみましたが、それはこの作品では、池田さんと佐藤愛子先生がダイレクトに関わりをもっているからだと思います。


面と向かってお会いになっているわけですもんね、池田さんと佐藤愛子先生は。そういうことだと思うのです。偉そうで済みませんでした。


私のダメなところは、佐藤先生に叱られると極端から極端にぶれることです。第51号の掲載作「布勢博一先生を悼む」のなかで敬称や敬語を多用したところ、エッセイのルールに反すると、佐藤先生から叱責されたので、この「変人会談」では先生に対する敬称や敬語を避けたのです。良く考えないで書くと、このような始末となります。おふたりともフィードバックをありがとうございました。


結論1.フィードバック(感想やアドバイス)は、作品の質を高めます。

結論2.積極的にフィードバックすることで、観察力も養われます。

結論3.活発な討議は随筆春秋全体のレベルアップにつながります。





マニアックなご報告 2018.01.04


昨年末、赤穂大石神社学芸員の佐藤誠先生から「イタリア大使館の見学許可が下りた団体から、池田元さんも同行して良いという話を頂きましたよ」と連絡がありました。


佐藤誠先生はまだお若いのですが、随筆春秋の新しい印刷所を紹介して下さったり、達筆で読めない人の字を判読して下さったりしている、恩人ともいえる貴重な友人です。


イタリア大使館は赤穂義士切腹の地のあとに建っていて、もちろん許可がなくては入れません。今回も3年越しに特別の許可をいただいたのだそうです。


私には下記の記事の由来がありますので、喜んで同行させて頂きました。その直前に、




息子と一緒に高田馬場の安兵衛顕彰碑にお参りしていたら、いるはずのない静岡在住の先輩講師が来ていて写真を撮ってくれました。こういうの、私は偶然とは考えないほうです。




切腹の跡地は「義士の血を踏むことがないように」との配慮で、江戸時代に池になりました。後ろがその池です。このあと松平隠岐守(松山の殿様)のご子孫と写真も撮り、3日後泉岳寺にお参りにも行ってきました。


以上、マニアックなご報告でした。








著者 池田 元(いけだ はじめ) 1962年(昭和37年)生。 東京都豊島区在住。

職業 社員教育講師 2005年より、有限会社研修設計 代表取締役

48歳のときの処女作 「苔のテレポーテーション」 で随筆春秋 第17回 佳作を受賞

それまで全く文学とは 縁のない生活をしていた。 あるとき近藤健から……、




「随筆春秋コンクールに応募してみませんか」 と誘われて 何となくその気になった。

   写真は右から、赤穂義士・堀部弥兵衛(安兵衛の義父)を 介錯した熊本藩士の子孫、近藤健。
   中央、堀部安兵衛の 従兄・佐藤條右衛門 の子孫、佐藤紘さん、
   左端、安兵衛を介錯した 松山藩士の子孫、池田元。 高田馬場、堀部安兵衛 顕彰碑の前で。

運良く佳作を頂いたところ、近藤を通して、佐藤愛子先生から会いたいとの連絡が…。
亡くなったご主人の昔のお仕事ぶりを、よく知った人から取材をしたいとのこと。

池田が以前在籍していた会社の社長が、若い頃、ご主人の会社で働いていたのだ。
その社長を連れて、佐藤愛子先生のご自宅へ。先生の取材は4時間にも及んだ。

社長は当時、ご主人に可愛がられていて、この家で古着を沢山いただいたことも。
佐藤愛子先生と、財部一朗社長が再会するのは、なんと53年ぶり。












このとき、お二人から池田が頂いたサイン

これが縁で、随筆春秋事務局 をお手伝いするようになった。



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